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【読書録】江國香織『がらくた』『神様のボート』


私は、江國香織の作品が好きだ。
作品を読むごとに四季を感じ、匂いを感じ、味を感じる。景色が絵画のように瞼の裏に浮かぶ。


また私は、本を通じて趣味嗜好をさらしてくれる作者が好きだ。
たとえば村上春樹。彼の小説の主人公は皆、パスタと煙草とウイスキー、ホテルのラウンジで飲むコーヒー、そして本が好きだ。若い人であってもポップスではなくクラシックを聴く。優しいけれども消して物事にのめり込むたちではなく、常に周りの女性たちを苛立たせ、不安にさせ、のめり込ませる。

村上春樹本人がどのような人間かは知らないが、きっと彼は若い頃、こんな青年だったのだろう。もしくは、こんな青年になりたいと願っていたのかもしれない。


江國香織の描く小説も同様で、全く知らない江國さんがどんな人物なのか、思い浮かべることができる。
女たちは必ず世間からほんの少し浮いた、意思の強い、変わり者の女性として描かれる。美しく、盲目的で猟奇的な恋愛を経ている。化粧は濃くなく、丁寧に生きている印象を持つ。皆決まって旅行が好きで、美味しいワインと食事が好きで(くだものが好きな人も多い)、おおいに食べ、そして飲む。

村上春樹江國香織の小説を読むことは、私にとって『五感を刺激される行為』であるのだ。
おなかが好き、シャワーを浴びて夏の夕方を散歩したくなるような、とても健全な気分にさせられる。休日に、ソファーに寝転び読むには最適な本である。




『神様のボート』と『がらくた』は、似ている。
どちらの作品も、二者からの視点で物事が進む。
子供から大人になりかけている、不安定で、実に色々なことを考えている少女(神様のボートでは草子、がらくたではミミ)と
多感な時期はとうに過ぎ、自分の生き方を既に決めてしまっている、恋に溺れる成熟した女性(神様のボートでは葉子、がらくたでは柊子)。


少女たちは、奇妙なものでも見るかのように女性たちを見つめる。彼女たちはまだ溺れるような恋も味わっておらず、従って溺れるような幸福感もまだ知らないので、男に入れ込む女たちを、一種冷めたような目線で見つめている。
読者からしても、年齢を重ねた大人の女性にしては、あまりに子供っぽい葉子や柊子に閉口する場面もある。
そこまで一人の男に入れ込むのはおかしい、良い年してなんだこの女は子供の気持ちも考えず恋愛にのめり込んでー…
そんな説教臭い感情まで抱かされる。

だがしかし、女性たちは圧倒的に幸福感にまみれているのだ。本を通しても眩しく思えるくらいに、自分の幸福さを完璧に信じている。
この女性たちを小馬鹿にする人はこの世には溢れているだろう。でも本当は、そんな彼女たちを羨望している人も多いと思う。
もちろん、私も御多分に洩れず。


私はまだ24歳で、身を焦がすような恋はしたことがない。自分を圧倒的に幸福だと感じたこともない。
シシリアンキスをのみながら交じりあうようなドラマチックな恋をして初めて、女の子は、バカな大人の女性になれるのだ。希望に満ちて、自分の未来を信じて疑わない女の子たちにバカにされるような、幸福な女性に。


人間っていうのは、バカな生き物なのだ。

夢を追って、希望を持って、キラキラしている少女たちを見て
そこに戻れないことに気づき、圧倒的な壁を感じ
そしてますます、もう変えられない、自分と自分の周りの世界にのめり込んで行く。

ずっとずっと、キラキラ輝く希望に満ちた女でいることは難しい。

願わくは、キラキラしていなくても良い。バカにされても良い。私も、幸福な女性になりたい。